基本的にラジコンで theバギー

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バギーを片手に河川敷を徘徊している四十路おとこです。大した知識はないのでブログを書きながら勉強していきます。

基本的にラジコンでtheバギー

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ラジコンバギー遍歴③

ラジコンバギーとたなか少年。

想像していたラジコンライフと違っていて、モチベーションが下がってしまった上にマシントラブルに見舞われ、たなか少年はあれほど苦労をして手に入れたラジコンバギーと別れることを選びました。

ホーネットシェイクダウン

ご訪問ありがとうございます。

たなか少年は一生懸命に完成させたホーネットを抱えて家の前に飛び出しました。

充電は前日に終わらせておりあとは走らせるだけです。

この時のたなか少年は強敵を目の前にした猿型宇宙人よりもワクワクしていたと思います。

逸る気持ちを抑え、説明書の通りにまずはプロポのスイッチを入れ、バッテリーを繋ぎ本体のスイッチを入れます。サーボがウィンウィンと可愛く動きます。

走らせる準備はできたので、ゆっくりとスロットルを引いていきます。

びゅいーーん!

ホーネットは凄いスピートでかっ飛んでいきます。(当時のたなか少年にとっての話です。)

家の前は車通りが少ない道路だったので普通に走らせていましたが、今考えるととんでもない子供ですね。

ただ道路は狭いうえに、かまぼこ型といいますか中央が盛り上がっていたので操作が難しかったと思いますが、たなか少年の抜群のスティックさばきで颯爽とホーネットは駆けていきます。

ちなみに当時はホイラータイプよりスティックタイプのプロポが幅を利かせていたと思います。

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約5分後…

何の前触れもなくホーネットは沈黙しました。(徐々に遅くなっていったのでしょうが、たなか少年は気付きませんでした。)

理由は当然バッテリー切れです。

想定外の出来事にたなか少年は愕然としました。

バッテリーは通販セットに1本しか付いてきていないので、充電にかかる時間を考えると1日5分しか走らせることができません。

バッテリーを買おうと思ってもお金がありません。

悩みに悩んでたなか少年はある事をひらめきました。

ラジコンライフ黄金期到来です。

以前のラジ歴でラジコンをやっている友達が2人いることを書き述べました。

tanakarcc.hatenablog.jp

うち一人はラジコンに飽きてしまってやめてしまっていましたが、この子はたなかと同じく貧乏なのでやめていても問題ありません。

たなか少年の救い主は(予定)残る一人のうなぎ屋の息子です。

子供ながらにお金の匂いを嗅ぎ取れるほどのお金持ちでした。

「奴ならばバッテリーをたくさん持っているはず」

さっそく腹黒い企みを懐きつつその子の家に遊びに行きました。

数少ない(唯一)のラジコン仲間の誕生に彼は嬉しさを隠せないようでした。

前置きは端折ってバッテリーが切れたことを伝えると快くバッテリーを貸してくれました。

しかも、彼の家の敷地内のコンクリートの上で走らせることになったのですが、まっ平らでとても走らせやすかったです。

この日から彼の家に入り浸ることになりました。

ただ、バッテリーもそれほどたくさんあるわけではないので、15分程度でラジコン時間は終了していました。

お世辞にも長い時間とは言えませんが、実はそのあとにやってくるおやつ時間とテレビゲームの時間が楽しみだったのです。

毎日ではないにしろ必ずジュースとお菓子を出してもらって最高の時間を過ごすことができました。

いまなら遠慮という言葉を知っていますが、たなか少年の辞書にそんなこと言葉は載っていませんでした。

さよならホーネット。さよならラジコンバギー。

栄枯盛衰は世の習い...最高の時間はある日突然終わりを告げたのです。

いつものように彼の家に行ってギャンギャン走らせていると壁際で曲がりきれずにぶつけてしまいました。

ぶつけるのは初めてではなかったので気にせず走行を再開すると動きがおかしいのでホーネットに駆け寄りました。

ひと目見れば原因がわかりました。フロントのフリクションダンパーが壊れました...

ダンパーを交換すればいい話なのですが、当時はAmazonはないので売られている場所を探すか、本体キットを購入した通販会社に注文するなどのアクションを起こさなければなりません。

模型の国トヤマに行ってもキットも置いていない店にホーネットのダンパーが置いてあるわけがありません。

通販会社に注文するにしても、なんと言えば先方に伝わるのか考えると電話するのもはばかれ、そんなこんなで面倒くさくなって電話をするのをやめてしまいました。

実はこの時点でラジコンにはそれほど興味がなくなっていたように思います。

ラジコンが楽しいのであればもっと修理するために努力をしたと思いますが、一切そのようなことはせず父親にも助けを求めたりしませんでした。

父がわりと手先が器用で機械いじりなんかも得意だったので、もしヘルプを出していればきっと修理してくれたことでしょう。

しかし、飽きっぽいたなか少年の興味はその頃には完全にファミコンに移っており、周りの友達もファミコン一色だったので、ラジコンが壊れてもゲームがあるからいいやとなってしまったのです。

はっきり言って最低人間ですが、このようにしてたなか少年のラジコンバギー時代は終わりを告げたのでした。

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